職人の話/野々村木工所

「0.5ミリの差がね、わかっちゃうんですよ。親父は。」


2shot.jpg苦笑しながら話してくれたのは、野々村木工所の野々村博さん。若い頃から家業専門でやってきたわけではないとのことだが、それでも木工のキャリアは相当なもの。既に職人と言われてもおかしくない腕と経験豊富な方だ。そんな博さんから見ても、「かなわない」と言わしめる「親父さん」とは、どのような方なのだろうか。

淡々と しかし淀みなく

様々な材料が整然と置かれた工場の中、静寂という表現が最も適切かもしれない。そんな静寂の中で、黙々と手が動いている。年季の入った、どんな道具よりも信頼できる「手」。そのしわの一つ一つまでが、重ねてきた経験を控えめに物語っている。木を削る。削られた材料が脇に置かれる。その所作は、単調な繰り返しのように見える。しかし、職人は見ている我々にはわからない言葉で、木と会話している。どれぐらいの時間がたっただろうか、その間、こちらがぼぅっとしてしまうほど、動きにムダがない。私が時間を忘れている間にも、木々は削られてゆく。そうして加工され、脇に置かれた木々は、一体どんな話をしているのだろうか。

「本物」を作るということ

「僕もこれで40年くらいはやってるんですがね。未だに親父からほめてもらったことがないんですよ。脇で僕が加工した部材を手に取ってね、触っただけでね(笑)。ほんのわずかに寸法が違うってね。0.5ミリの誤差だって、親父にはわかっちゃう。」

野々村博さんの言葉は、親父さんへの尊敬の気持ちであふれていることがよくわかる。親子だから、師匠と弟子だから、そんな言葉だけでは言い表せないものがある。
「きちんとした仕事をすること、このことを親父からは学びました。何かいやなことがあって気持ちが乱れていると、それはたちまち「手」に出る、んだってね。」

そんな職人の手で作られる作品は、なんだろう、言葉にできない魅力にあふれている。
きめの細かい木肌は、驚くほど滑らか。一切の塗装を施していない表面は、布地を触っているのではないかと錯覚するほどである。一つ一つの部品は狂い無く、均一に仕上げられ、本当に手でつくったものなのだろうかとさえ思える。見た目は近代建築のように正確な直線で構成されているが、これが触れたときには実に暖かい。「人の手に直接触れるものは、こうでなくてはいけない。」といつも寡黙な親父さんの声が聞こえてくるようだ。

脚部は、家の柱ほどもある重厚な一本材で、角は丸く削られている。足をぶつけてもなるべく痛くないようにと、使う人のことを考えた気配りがされている。何度も書くようだが、物のみが存在するために、作られているのではない。職人の目線の先には、常に「使う人」がいる。芸術のような物ではない。しかし、そこには、確かにある種の「美しさ」が存在している。大量生産の為に制作過程を合理化しなければならない工業製品ではここまで、「使う人」を考えて制作できない。

心は宿る

最後になってようやく、親父さんの声を聞くことができた。取材の帰りに「ありがとうございました。お邪魔しました。」親父さんから見たら、孫のような年齢であろう私に対して、帰ってきたその声は、「はい、ありがとうございました。よろしくおねがいします。」どこまでも謙虚で控えめな、実に美しい言葉だった。優れた物を作る人には、すばらしい心がある。職人として生き続けている言葉控えめな「親父さん」の心を、少しだけ、かいま見ることができた瞬間だった。 back1.jpg

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